《MUMEI》

「……寝るのはいいが、木から落ちるなよ」
「たぶん、大丈夫」
じゃ、お休み、と寝に入る乾
余り場所にたいする頓着がないのか、すっかり熟睡していた
「……悟。おい、悟!」
どれ位寝入っていたのか
身体を揺さぶられ目を覚ませばすっかり日が暮れていた
傍らにいる五月雨はすっかりヒトの姿で
熟睡しすぎていた乾へ呆れたような顔だ
「もう夜か?」
「そうだ。あまり遅くなるとあの老いぼれが心配するだろうな」
帰るぞ、と軽い身のこなしで下へと降りる五月雨
乾もその後に続くのだが
まだ眠気の方が勝っているのか、着地の寸前にバランスを崩してしまい
五月雨の上に落ちる様に降りる羽目になっていた
「……悪い」
「別に構わん。帰るぞ」
着物にちた砂埃を払い立ち上がり
乾へと手を差し出し、その手を取って断たせてやるとそのまま歩きだす
「爺ちゃん、ただいま」
帰宅し、乾は社務所に戻る事はせず祖父宅へ
部屋へと上がるなり、暫く寝る、と奥の部屋へと入って行った
「……悟の奴はどうかしたのか?猫又」
普段の乾らしくない、との祖父へ
五月雨は座敷へと重々しく腰を降ろしながら
その経緯を端的に話してやる
「……あの悟がのう。珍しい事もあるものじゃ」
珍しい事
一体何の事なのか、五月雨が表情のみで問うてみれば
「アレは他人に気を許す事を余りせん子じゃからのう」
それ故に他人の前で寝る事など考えられない、との祖父
確かに、乾は他人を近づける事を余りしない
そんな独特の雰囲気を持っているとは五月雨も何となく感じてはいた
「何か、理由があるのか?」
何となく気になったらしい五月雨が尋ねてみれば
祖父は徐に外を眺め、そして一息つくとゆるり話し始める
「原因は恐らく、両親なのだろうな」
「親?」
「ああ。アレの両親はアレが五歳のころ、失踪してしもうてな」
ソレ以来、見つかってはいないのだと切なげに遠くを見やる
原因は一体何なのか
ソレを問おうとして、だが五月雨は止めた
ヒトに興味を持った処で何の徳もなし、と
「……まぁ、そんな難しい顔をするな。それより」
祖父は此処で態々言葉を区切り
乾が入って行った奥の部屋を指差しながら
「アレの傍にいてやってくれんか。一人はやはり寂しかろうて」
頼む、と求められる
随分と過保護なモノだと五月雨は肩を揺らし
ゆるり身を翻すと奥の座敷へと脚を運ぶ
其処には大判のタオルを布団代りに寝入る乾の姿
傍らに腰を降ろし、指先で髪を梳いてやれば
くすぐったいのか、はにかんだ様な笑みを浮かべながら
五月雨の着物の裾を掴んでいた
まるで幼子の様だと五月雨はまた肩を揺らしながら
「何所にも行かん。安心して眠れ」
子供に言って聞かす様な穏やかな声に
寝ている筈の乾は子供の様なはにかんだ笑みを浮かべて見せる
「……寝顔はまだ子供か……」
五月雨はそのあどけなさにまた肩を揺らすと身を寛げる
このまま自分も寝入ってしまおうかと眼を閉じた
次の瞬間
五月雨の前へ、白い影の様な何かがぼんやり現れ始め
ソレは段々とヒトの型を成し、幼い少女の萎れに変わっていく
(お母さん、何所?)
辺りを頻りに見回しながら、どうやら母親を探している様で
その少女の姿に、五月雨は見覚えがあった
「またこちらに迷うてきてしもうたか。小娘」
困った風に眉を寄せれば
少女の姿が申し訳なさそうに揺らめく事を始める
「……もう少し待て。必ず、送り返す」
(本、当?)
確認するかの様に格美を傾げて見せる少女へ
五月雨は珍しく穏やかな笑みを浮かべて見せ、そして頷いてやった
(……待ってる、から。私、いい子にして待ってる、から)
手を振ってみせる少女へ、五月雨は程々に振って返し
その姿が見えなくなったのを確認すると深く溜息をついた
「……一体、この俗世に何の未練を残す。潔く言った方が後腐れが無いだろうに」
窓越しに外を眺め見ながら
五月雨はその末路を憂う様に呟く声を洩らす
その声に眼を覚ましてしまったのか
傍らの乾が身じろぎを始めた
「五月、雨……?」
「すまん。起こしてしもうたか?」
詫びを入れてやれば乾は首を横へ
ゆるり身を起こすと
「さっき、誰か来てたのか?」

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