《MUMEI》
4月10日
朝、いつものように六時に起き、三人分の朝食を作る。
うちは両親、俺、妹の四人家族だが、父は仕事で不在。
母も昼過ぎまで起きない。
なら三人目は誰かと言うと…
「おはよー」
玄関からあいさつが聞こえてくる。
この声の主こそ、朝食の三人目にしてたびたび出ていた『アイツ』。
隣の家に住んでいる、幼馴染みの天野 鴒である。
鴒は俺と同学年だ。
だが受験の直後に大きな事故に巻き込まれ、父親と右足の機能を失った。
そのときの精神状態から学校へ通えないと判断され、一年遅れて入学したというわけだ。
「もう出来ているのかい?
相変わらず早いね」
「お前こそ、今日はずいぶん早いじゃないか」
「今日から由と一緒に登校出来ると思うと、嬉し過ぎてよく眠れなかったのさ」
満面の笑みに不覚ながら見とれてしまう。
「由、どうかしたのかい?
惚けた顔をして」
怪訝そうに覗き込んでくる。
…たまに確信犯じゃないかと疑ってしまう。
「なんでもないよ…」
顔を上げると鴒と至近距離で目が合った。
見つめ合ったまま流れる気まずい空気。
そのとき突然廊下への扉が開いた。
「ふぁ〜…
お兄ちゃん、ごはん出来て…」
この間の抜けた声の主は我が妹、翼である。
「ぉぉお取り込み中、失礼しましたっ!」
物凄いスピードで扉を閉める翼。
『誤解だ(だよ)!』
息の合ったタイミングが翼の誤解を後押ししそうで嫌すぎる。
階段を駆け上がり、扉を閉める音がした。
「…誤解は後で解くことにしよう
妄想スイッチが入っちゃったみたいだし」
翼は思い込みが激しい。
俺たちはそれを妄想スイッチと呼ぶ。
「ああ、そうしよう」
二人だけでとりあえず食べる。
「キミの作るごはんはいつもおいしいね」
鴒が手を前に伸ばしながら言う。
「毎日作ってりゃ上達するさ」
手に醤油を持たせてやる。
「僕も料理してみようかな」
「絶対に止めてくれ」
嬉しそうに目玉焼きに醤油をかけながら言う鴒に即座に返す。
というか、心の底からやめて下さい。
「即答しないでよ…
傷つくなぁ」
「お前の料理の腕は壊滅的だろ?」
「だから練習するんだよ
それに、良薬口に苦しって言うでしょ」
「苦すぎるわ」
他愛ない会話をしつつ食事を終え、手早く食器を洗う。
「じゃあ、俺達行くから
ちゃんと飯食えよ
あと、学校遅れるなよ」
翼に扉ごしに呼び掛けたあとに家を出ると、松葉杖に寄りかかった鴒が待っていた。
「よし、行くか」
俺達は朝の通学路に踏み出した。

「これからは毎日由と一緒に登校かぁ
嬉しいな」
俺の右で鴒がはしゃいでいる。
気持ちは分かるが…。
あぁ、周囲の目が痛い…。
「ねぇねぇ、手握っていい?」
体をこちらを向いて訊いてくる。
「…お前は本当に高校生か?
年を考えろ」
「ちぇっ…ケチ」
毎朝これかと思うと少し頭が痛くなる。
でも実害は無いし、仕方ないことだからいいか。
桜並木を抜け、入り口で鴒と別れる。
手を振られたので仕方なくヒラヒラと振り返す。
やっぱり視線が痛い…。

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