《MUMEI》

話声が聞こえた気がする、と
辺りを見回し、その有無を確認してみるが誰もおらず
向いて直り、見えた五月雨の表情はどうしてか曇っている様に見えた
聞いてはいけない
そう判断した乾はそれ以上聞く事はせず
「……夕飯、作ってくる」
立ち上がると台所へ
普段ならばその背を適当に見送る五月雨なのだが
今日はどうしたのか、乾の後へと就いて歩く
「どうかしたのか?」
様子がおかしいとの旨を伝えてやれば
だが何の反応もなく、五月雨は顔を伏せたまま
その様に、やはり聞かずにおいた方がいいのだろうと察した乾は
何を返す事もせず、五月雨がしたい様にさせてやった
「落ち着いたか?」
暫く後、そう訊ねてやれば
五月雨は僅かに溜息の様なそれを吐き、乾から離れる
「歳を老うと、何かしら脆くなるものだな」
「何が?」
「この儂が人間ごと気に縋ってしまうとはな」
多少なり物言いに引っ掛かりを感じた乾だったが
敢えて何を返す事もせずに置いた
「所で、お前の方は大事ないのか?」
話しを唐突に振られ、何の事かと向いて直れば
「帰るなり寝入っただろう。……少し、心配した」
照れくさいのか、顔を背ける五月雨
珍しい表情をするモノだと五月雨の方を見やれば
「……何だ?」
「……別に」
短く返し、乾はそれ以上ないを言う事もせず
料理に手を動かし始める
「……何か食いたいもの、有るか?」
サラダ用にと野菜を切りながら、ソレを問うてやれば
五月雨は暫く考え、そして
「酒に合うもの、だな」
との注文
随分と大雑把それを思い出しながら
一応はそれらしいものを乾は作り始めた
「こんなモンでいいのか?」
そう言いながら作り上げたのは
ふわふわのだし巻き卵
何等分にあらかじめ切り分けられたその中の数切れを小皿に盛り
乾は五月雨へと渡してやる
随分と器用な事だと関心いながらも
ソレは両親と早くに死に別れたが故にそうならざるを得なかったのだと
五月雨は居た堪れない気持ちにさせられる
「……甘過ぎたか?」
「いや、丁度いい。もう少し寄越せ」
「先につまみだけ無くなるぞ」
「そうなったらまたお前が作ればいいだろう」
などと随分と自分勝手な物言い
気にならない訳ではなかったが、敢えて無いも言わず
乾も卵焼きを食べ始める
「あ、コラ。これは食うな。これは儂のだ」
お気に召したのか、皿を手放す事無く食べて行く
大人気ない、と呆れてやりながらも、乾はそれ以上手を出さずにおいた
「……しかし、お前は本当に不思議な人間だな」
食べる手はそのままに、五月雨の徐な声
何の事かとそちらへと向いて直ってやれば
「お前からはヒト特有の恐怖心を余り感じない。普通、ヒトは恐怖心を顕にさせる生き物だろう?」
「……俺だって、恐い時は人並みに怖いぞ」
確かに、周りと比べれば感情薄であるという自覚はある
だがそれで取り立て不便さを感じる事はなく
寧ろソレに慣れてしまえばその方が楽だとも思える程だ
「だから、だったんだろうな」
「何がだ?」
一息つき話を始める乾
五月雨が改めて何の事かを問うてみれば
「俺、両親が居なくなったって聞いても、何も感じなかった」
寂しいも、悲しいも、何一つ
何故自分は何も感じないのだろうと考えながら
だがその答えは解る筈もなかった
「……今は、ソレでいい」
「五月雨?」
「感情の振り幅が大きければ大きい程、影に付け込まれる」
だからそのままでいい、と続けられ、乾は僅かに安堵した
「……どうした?」
何となく五月雨の肩に甘間を凭れさせる乾
傍に誰かを感じ、安堵したのかそのまま船を漕ぎ始める
よく眠る人間だ、と
五月雨は乾を起こすでもなく微かに肩を揺らす
「……たまには、悪くない、か」
k自分は今、滅多ない気紛れを起こしているのだと自身に言い聞かせながら
五月雨はそのまま、酒を煽る事を続けたのだった……

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