《MUMEI》

この猫は一体何回、こんな別れ方をしてきたのか
ヒトである乾に解る筈もなく
だが今この感情だけは受け止めてやる事は出来ると
乾は五月雨の頬へと手を触れさせる
「何だ?」
まるで戯れる様に触れてくる乾へ
何をしているのかと改めて問うてやれば
だが乾は何を言う事もせず唯触れてやるばかりだ
この猫は自身の感情には酷く鈍感なのだと
何故か頬を伝い始めていた涙に五月雨が気付く事がない様
顔を伏せ戯れに触れ続ける
そうして触れている内に、乾の中へと五月雨の感情の様なものが流れ込んでくる
事には表せられない程複雑なソレに
乾の頬に更に涙が伝う
「……何を、泣いている?」
気付いたらしい五月雨の手がソレを拭い
撫でられ漸く、乾は自身が恐怖を感じていたのだと実感する事ができた
そしてそれは全て終わったのだと理解する
「……疲れた。帰る」
五月雨の着物の袖で涙と鼻水を拭ってやり
帰る、と改めて言ってやる
その様は歳相応な子供それだと
五月雨は肩を揺らしながら、乾へと背を向け膝を折った
何をしているのかと問うてみれば
「……疲れておるんじゃろう。おぶってやる」
乗れ、と後ろ手に手を引かれ、乾は五月雨の背の上へ
半ば倒れる様に乗ってしまえば、五月雨はそのまま立ち上がり
そしてそのままゆるゆると帰路を戻り始める
この歳になっておんぶされる羽目になるとは、と
本当に子供扱いされている様な気がしてひどく恥かしい
「五月雨。俺、降りる」
その旨訴えてはみるが五月雨は聞く耳を持たない
意地でも降ろす気はないのか、そのまま歩き続ける
結局、自宅に帰り着くまで五月雨が乾を降ろす事はなかった
「悟!?」
帰るなり、祖父が慌てた様で現れ
その勢いのまま乾へと掛け寄って来た
「無事か!?何ともないか!?」
ひどく動揺しているらしい祖父へ
乾は大丈夫だから、と落ち着かせてやる様に何度も言って聞かせてやる
そのやり取りを何度か続け、祖父は漸く落着きを取り戻すと
ゆるり五月雨の方へと向いて直った
「猫。よう孫を影から守ってくれた。感謝する」
「別に。儂は何もしとらん」
謙遜なのか、五月雨がそう返せば
祖父はだが緩く首を横へと振りながら
「……また夕闇に家族を持って行かれるのは辛いからのう」
すっかり暮れきってしまった空を仰ぎながらそんな事を呟く
それが乾の両親の事なのだろう事はすぐに知れ
だが何を言う事も五月雨はせずに置いた
取り敢えずは食事でも、と勧めてくる祖父へ
乾達は頷き、三人揃って祖父宅にて食卓を囲む
交わす言葉は、少ない
だがひどく穏やかな夜だと、誰もが感じていた
「……爺ちゃん。俺何か疲れたから少し寝る」
食事も終わりに差し掛かりで、乾は卓へと突っ伏した
箸と茶碗を握ったまま、寝息を立て始めてしまった乾に
祖父、五月雨は顔を見合わせ、どちらからともなく肩を揺らした
「……猫。一つ、頼みがある」
「何だ?」
「もし、何所かでアレの両親に会う事があれば、心配していたと、伝えておいてくれ」
「何故それを儂に言付ける?」
「……お前に言付けておけば、確実じゃろう」
頼んだぞ、とそれだけを伝えると
祖父は食べ終えた食器を片づけいに腰を上げる
「……食えん老いぼれだ」
その後姿を見送りながら五月雨は一人言に呟く
そして徐に、窓から外を眺め見ればゆらり二つの影が現れ
暫く乾の周りを労わるかの様に漂う
「……これの事が、心配か?」
五月雨が穏やかな声を向けてやれば
その影達は答えるかの様にその前身を揺らめかせていた
「安心しろ。コレは見た目よりしっかりしている。迷うたりはせんだろうよ」
それだけを伝えてやれば、その影達は安堵し高野様にその色を薄め
そして、消えて逝った
その様を見送ると、五月雨は乾を背負い
眠るなら家に連れ帰ってやろうと廊下へと出る
玄関へと向かう途中、祖父へに出会い
帰る旨を伝えてやれば、気を付けろとの声を戴き
五月雨は後ろ手に手を上げて返し、祖父宅を後にした
外は満月の明かりが仄かに眩しい夜
酒でも飲むのに丁度いい日だと
五月雨は途中、自販機でカップ酒を購入し、そして帰宅した
縁側へと腰を下ろし、自身の身体に乾を凭れさせる

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