《MUMEI》

「ここからなら、よく見えただろうな」
 フォーマルハウトのことだろうか。南の秋空で唯一の目立つ星であったが、低い位置のため確かに、この土地では、開けたところからのほうが探しやすかったはずだ。
 みなみのうお座は、秋の四辺形と呼ばれるペガスス座から視線を真っ直ぐ下げた位置、地平線近くにあると言われる。基本的に秋の夜空は四等級以下の星ばかり輝いているのだが、中に一つだけ、一等星が存在する。かつて秋の一つ星と呼ばれていたそれが、みなみのうお座のフォーマルハウトである。
 克深は、実際には見たことがない。彼女だけでなく、誰しも見たことがないのだろう。
 空が雲で覆われて以来、頭上で本物の星々を観察することは適わない。
 全ての星座は雲の上にある。そう、文字通りに。
「答えになっていませんよ」
「必要か」
 初めて男が振り向いた。彼女が思った通り、雇い主としては若い部類だろう。
 身に着けているのは、かなり楽な格好のもので、黒縁の眼鏡をしていた。
「辿り着いたのなら問題ないだろ」
 彼は赤い林檎を一瞥する。実際、特別な意味はなかったのか、すぐに視線を外す。
 男は余計なことは言わずに、さっさと歩き出した。不採用とも採用との言葉もない。
 克深が連れて来られたのは、煉瓦造りの塀に囲われた古い建物だった。迷路のように入り組んだ路地という路地を抜け、自動四輪でやって来た町外れ、目の前に現れたのは、長い年月放置されていた茨姫が眠る曰くつきの館みたいであった。煉瓦造りの建物の外壁全面に、茨ではないが蔦の葉が生い茂り、蔓が絡まりまくっている。
 幾つかある建物の離れで、本当にお姫様が眠っていたことを彼女が知ったのは、後日である。

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