《MUMEI》

 外に出て夜空を見上げると、さもそこに当たり前に星が見えるような語り口。
 原稿も男が書いているのか。
 従業員の姿は見当たらず、彼だけが全ての運営を取り仕切っているようだった。私的な事情を問うことは、最初の契約で禁止事項とされている。
 まるで彼自身がフォーマルハウトのような存在だった。
 克深は全ての上映が終了してから、帰り支度を整える。天象儀の建物を出ると、敷地は出て行かずに、離れへと向かった。
 実はもう一つの仕事が契約内容に存在していた。
 一際、蔦の葉と蔓が絡まった煉瓦の洋館の一室に、少女が眠っている。
 天蓋のついた寝台に紗の布が両脇から下ろされているので、普段は中を窺うことはできない。
 克深の仕事の間だけ、布が上げられて、少女の顔を見ることができた。
 林檎のようにとは言えないが、うっすらと染まった頬と、安らかな寝息で、彼女が眠っているだけだということがわかる。
 部屋の電気を消すと、少女の枕元にある、黒い多角形の物体に電源を入れる。 暗闇の中、寝台の広い天井に星空が広がった。天象儀のように回転はしないが、確かに秋の夜空の星座が投影されている。
 その日読んだ星空原稿を彼女に読み聞かせるのが、仕事であった。
 克深が知る限り、少女が一度でも目を覚ましたことはない。
 事情を問うことはできないのだ。
 今夜の仕事を終えて、帰途に着こうとした直前、片耳だけの紅い鉱石がなくなっていることに気づいた。
 離れか、天象儀のある部屋か、どこで落としたのか。
 位置が近い天象儀の建物に足を向けると、窓辺に夜空を見上げる男の姿が見えた。珍しく黒縁の眼鏡を外しており、彼の瞳の色が鮮明に認識できた。
 虹彩が判別できない程、真っ黒な瞳であった。いや、色合いは、海底の闇、紺碧のような。
 気配に気づいた男の瞳が、克深へと向けられて思わず、彼女は身を翻していた。

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