《MUMEI》

「お前の名は?」
 もう一度、前方からは先と同じ問いかけが投げられる。少々苛立った低い歪んだ声が、抗い難い力で、イシユミに襲いかかった。逃れようと必死で、繋がれた手を振り解こうとする。
 だが、逆に乱暴な力で身体が引き寄せられる。
 何かがイシユミを拘束していた。
 獣のような荒い息遣いが間近で感じられて、今にも、頭から喰らわれるのではないかと覚悟する。
 直後のことである。
 耳元で、囁かれた声が蘇る。
 どうして。何故、自分がこんな目にあわなければならないのだ。
 突如、理不尽なことへの怒りと、生への強い欲望が湧き上がる。
 燐光が弾けた。渦を巻いていた、ねっとりと絡むような霧が瞬く間に散り散りとなって、消滅していく。
 怯んだ様子の、姿の見えない陰と繋いでいた手とは反対の手を、新たな別の何かに引っ張られていた。
 手を解かれた陰が叫び声を上げて、飛び散り、消えていく。
 光の正体は何だったのだろうか。
 イシユミは、腕を引っ張っているものを省みた。こちらの姿もまた、陰となり、全体像が判然としない。
 来た道を戻り始めて、しばらく、異常な高揚感が収まっていることに気がついた。緊張と不安が塵となり、消え失せている。
 ただ、浮遊感だけが継続していた。
「誰だ?」
 イシユミは言った覚えのある言葉を発していた。
 何ものかが、一層強く手を握り締めた。

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