《MUMEI》 独り午後1時、ガソリン特有のキツい匂いが広がる部屋で、少し大きめの汚れた窓を全開にし外の交差点を眺めた。タール12の煙草を吸いながらふと思った、自分は何がしたいのか、ヌルい空気を感じながらこれからを考えた。自分は昔から自分の一人称を「自分」と言っている、なぜかは分からないがなんとなく、過去を振り返ると悲しくもなく愉快な気分にもならない。我こそはヒーローと言える武勇伝も無く、我が輩は悲しき主人公というわけでもない、あえて言えば一コマだけ登場する脇役。「自分脇役なんでいいです」その一言に尽きる、何事にも挑戦せず、安定を追い求めて、何かから逃げ、面倒な事が嫌い、常に刺激を怖がる、そんな自分も今年で28歳だ。テレビに出る芸能人はきっと10回ちょっとのヒーローショーに立ち会ったであろう、少しは自分も憧れを持った時期もあった、一度くらいヒーローでもいいんじゃないかと、振り返る度に謎のやる気が抜けてゆく、何にやる気を出したのかもわからないのに。10代の時は芸能人になる事が夢だった、恐らく自分の心の中にまだその夢という魔物が取り憑いている、若さとは生きる力を飛躍させる為のバネ。屁理屈ばかりの考え方もダメだろうな、明日から、いや今日から、魔物のしつけをしようと思う。長い空想から離れ、自分は油クサい部屋を出た。向かう先は友人が経営する美容室、美容室に向かうまでの景色が綺麗に見れた、ゆっくり歩き感じる緩やかな風、まるで富士のような細長く大きい坂、交差点を過ぎれば中学生が群がるいつもの煙草屋が見えてくる。なぜか煙が昇る度に汚されているはずの空がわずかに美しく見える、煙と日の光が混じり合い不格好なオーロラのようだ。景色のせいか案外予約時間より早く着いてしまった、入る瞬間に友人と目が合った、目をそらしたが、その後追うようにまた目が合う、5分程の沈黙から逃れ、そしてカタログを手にし革製の椅子に座る。座ってさっそく「久しぶりだな樫美」話しかけられるのはそこまで久しくは無い、この前喫茶店で会った事を覚えていてあえて言ったのか。樫美という名前は好きじゃない、だが下の名前の秋彦は気に入っている。「樫美、お前ここ最近この街で何があったか知っているか?」「何が?」「いや事件だよ、事件、この街を仕切ってるヤクザの事で」「ヤクザ?」まずこの時点で普通の会話じゃない、美容室の店長に言われる言葉じゃない。「ヤクザの組長、永須組長の娘が逃げて、その娘と交友関係になった男を片っ端から捕まえてるらしい」「それ本当か?どこ情報?だいち捕まえて何すんだよ......聞いてんのか鈴村」「おぉ悪ぃ悪ぃ聞いてるよ」その後鈴村の話を長らく聞いたが、やっぱりいつもの終着点の無い話だった。短髪にツーブロックを入れ、今日1日の出来事を家に持ち帰る、外はもう夕陽が顔を出していた。アルバイトの金をATMから降ろし、また油クサい部屋へと戻った、何かが泳ぐようにどんよりとした空気、うごめく煙草と微かな光が今度は汚く感じる。全てを吐き出すようにその日は静かに布団へ沈んだ、身体ごと布団という謎の空間へと預けたように、なんとも言えぬ浮遊感に襲われる、仕事のある日はいつもこうなる。明日は休みだ、そう考えるだけで周りの友人より自分は劣って感じる。今日も仕事は早く終わり、短時間の仕事から長くの自由を手にとる度、罪悪感が時を刻む。 |
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