《MUMEI》

「……ああ。あそこの公園か」
何か思い当たる節でもあるのかの様に上司は口を噤み
そして徐に豊田へと向いて直り
「……豊田君、すまない。あの子の事、頼めないか?」
「はい?」
「見かけたら声をかけてくれるだけでいい。それだけでいいんだ」
頼む、と両の手を合わせ懇願される
必死すぎるその様に、否を返す事は相手が上司故にし辛く
それだけならば、と渋々承諾するしかなかった
「それで?あのテディベアは一体何なんです?」
豊田の前に示される無数のクマの人形
ソレが一体何を意味するのか気に掛らない筈もなく尋ねてみれば
上司は瞬間黙り込み、そして重たげに口を開く
「テディベアは、あの子と、あの子の母親との思い出のモノなんだ」
「思い出、ですか……」
「あの子の事、もしかして誰かから訊いたかな?}
豊田の反応にその事を察したらしく
上司は苦笑を浮かべてみせながら問うてくる
豊田は黙して返す事で応を返し
だが何を言って続ける訳でもなく、そのまま上司からの次の言葉を待つ
「……あの子とあの子の母親には悪い事をした。弐度と、償う事は出来なくなってしまったが……」
その言葉から察するに、もうその女性はこの世には居ないのだろう事を察する
豊田はどう返せばいいのかが解らず、更に黙していると
「昔、一度だけこの子を連れて公園で遊んだ事がある。それを覚えていたんだろうな」
しみじみと上司は思い出に浸り始める
想いでの場所とモノ
其処に何か求めるモノが在るのかもしれない
ソレを知ることができれば、とそこまで考え不意に我に帰る
何故そんな事を考えてしまっているのか
全く関係のない筈のソレに、疑問ばかりが浮いて出る
「豊田君?どうかしたのか?」
上司の声に何でもないを返し
仕事に戻る旨を伝えると一礼し踵を返した
通常の業務を卆なくこなし就業の時刻
帰り際、コンビニで夕食用の弁当をどうしてか二つ購入し、漸くの帰宅
帰ってみれば、昼間の言葉通り自宅前にその人影がある事に気付き
だが声をかけてやる事はせず、素通りしそのまま戸を開けた
「……入ったらどうだ?」
突っ立ったまま動こうとしない相手に一瞥だけくれてやり豊田は中へ
その後ろに付いてくるのを気配で感じながら、取り敢えずは身支度を解きに掛る
買った弁当をテーブルへと沖、背広を脱ぎ棄て
ソファの上に放置したままだったワイシャツとジーンズへ
「……立ったままで居るな。座れ」
着替えながら、室内には言っても立ったままでいる相手の腕を掴み
部屋中央に置いてある卓の前へと座らせてやる
相も変わらずの無表情で豊田の方を見やる相手の前へ
買った弁当の一つを置いてやった
「……これ」
食えという意図で置いてやったソレが解らなかったのか、小首を傾げる相手
豊田は割りばしを口にくわえ、左手でそのまま割りながら
もう一方の右手で相手へと箸を渡してやる
ソコで漸く豊田の意図が通じた様だった
「……いただきます」
行儀よく両の手を合わせると食べ始め
ソレを確認すると豊田も食べ始めるた
「……いつも、コンビニのお弁当なんですか?」
「あ?」
行き成り何を言い出すのか、とそちらへと向いてやれば
相手は真っ直ぐに豊田の方を見やりながら
「そうだったら、身体に良くないと思いますけど」
との言い分
それ位、豊田とて重々承知はしている
だがその生活を変える手立てがある訳でもなく
結局はこのままでいる事が一番楽だと、変える事をしないでいる
「俺の事なんぞどうでもいいだろうが」
構う事をするなと続け、食べる事に専念する事に
ソレからは会話らしい会話なく、互いに食べ終わりに差し掛かった丁度その時
豊田宅のチャイムが、来客のそれを知らせる
こんな時間に一体誰なのか
僅かに舌を打ち、だが無視をするのも何となく気が引け一応は出迎えてみる
「兄貴ー。帰ってるー?」
来客は、妹である豊田 七緒
入るなり、其処に居る相手をまじまじと凝視する
「兄貴。この人……」
小首を傾げられどう説明していいものか返答に困る
懸命に言葉を探そうとしていると
「……僕、帰ります」
表情一つ変える事無く相手は踵を返し、その場を後に
そのまま見送っておけばよかったモノを

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