《MUMEI》

廊下の喧騒とは切り離されたように、
無人のトイレはシーンと静まりかえっている。
夕暮れ近い午後遅くの陽射しが 、ずらりと並ぶ小用の便器を冷たい感じで照らしていた。
まるで自分が突然異空間に紛れこんでしまったような不安感に、須佐男は急かされるように小用の便器に歩み寄るとズボンのジッパーを下ろし、用を足し始める。
と・・・・、後ろで個室用のドアが開く・・・・ギィッ・・・・という音が響いた。
トイレに入った時は 人が居る気配を全く感じなかったのに・・・・。
須佐男の右斜め前にある鏡に、後ろに並ぶ個室用のドアが映っていた。
音がしたらしい一番奥の個室のドアが細く開き、黒い闇を覗かせている。
耳をすますと、その闇の中から微かな音が聞こえてくる。

カシャカシャ・・・・カシャカシャ

音を聞いた瞬間に、須佐男の脳裏にあるイメージが浮かんだ。
個室の中いっぱいにうごめく幾千幾万の銀色の糸グモの群れ。
それらがお互いを押し退けあうようようにして、床や壁や天井で金属的な足を忙しく動かしている。
あまりに生々しいイメージ。
そんな事あり得ない!幻聴だ!
須佐男が心中でそう叫ぶ間にも、鏡の中の黒い隙間はどんどん広がっていく。
須佐男は押し出すように膀胱内の小水を便器に吐き出す。
急いでズボンのジッパーを上げると
個室に走り寄り、どきどきしながら開きかけているドアを、バタン!と勢いよく閉めた。
もし完全にドアが開いたら、内部の何かが外側に現れてしまうと思ったのだ。
ドアを閉じる時に、闇の中でムクムクとうごめきがら形をとろうとする、得体の知れない何かが見えた。
須佐男は閉じたドアにピタリと耳を押しあてて、中の様子をうかがった。

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