《MUMEI》
3
「はあっ、はあっ、はあっ」

不規則的に漏れる荒い息づかいも、いい加減うっとうしくなる。
唇がカラカラに乾き、喉の奥が引きつって新しい新鮮な空気が吸えず、喘ぐようにかすれた声が漏れる。その度に唾を飲み込み、また口が乾くというサイクルに陥ってしまった。

いつもはのんびり歩いても10分程度の道のりがやけに遠く感じられる。遠くに見える小さな高校に永遠に辿り着けないような気がした。


こんなことになるなら運動しておけばよかったなあ、と片隅で他人事のようにぼんやりと考えてしまう。
思考だけが現実逃避をくり返し、なかなか重たい足は動いてくれそうにない。



疲れた。歩きたい。ゆで卵食べたい。

かえりたい。

自分の甘い考えが頭を支配し出すと、その楽観的思考から抜け出せず、自然と歩行速度が落ち、無意識に鞄の中のりんごジュースを漁っていた。

とにかく水分、飲み物が欲しかった。
せめて口の乾きを潤すぐらいはいいだろう。

小走りしながら手探りで鞄の中に欲する物を探る。急いでいるからか、なかなかそれらしき物を見つけることが出来ず、苛立ちがばかり募る。

神経を指先に集中させると脳内に鞄の構造が浮かび上がる。その記憶を頼りに手探りを続けると一瞬爪が冷たい物質に触れーーー


「、あっ」

あった、と叫ぼうとした瞬間であった。

神経を指先に集中させすぎていたのか、前方が不注意になっていたのだ。
しかしその事に気付いた時にはもう既に時遅し。


「みきゃっ!!」

見事に空き缶を踏んで、右足が宙を蹴る。
ガコッと体のバランスが前のめりに崩れ、一瞬の浮遊感。
地面が近いと自覚したのは顔面を強打したあとであった。

更に体が地面と接触した際、ぐちゃ、とくぐもった音が続けて2回程聞こえた。
主に地面と体の間ーーーつまり、鞄の中から。

嫌な予感しかせず、数秒動けなかった。ある程度落ちが予想出来てしまい、起き上がる気力もない。脱力。


ぽつりと口をついて出てきた呟きは、思った以上に弱々しく、乾いていた。


「ほんと、ついてないよ…」











「えーそれでは出席とるぞー。 青木……」

静寂に包まれた教室。教師の低いがよく通る声が響く。そのあと小さな返事。

そのやりとりが何度か繰り返される。

しかし私には関係なかった。たった一つの空席をじっと見つめるだけ。


「鈴白ー……鈴白 奈子は来てないか? 誰か連絡来てないか」

小さく教室がざわめいて生徒達の小さな会話が生まれる。

「トイレじゃねーの?」
一人の男子生徒が茶化すように発言。
「もしかしたら大きい方かもな」
「うっわ朝っぱらからきったねぇ話すんなよ」

ギャハハハ、と品のない笑い方をする馬鹿達。
何が楽しいのか、ケタケタと口元を歪ませる。

苛立つ。気分が悪い。吐き気がする。
ああ、早く来ないかしら。私の世界でたった一人の女神ーーー


と突然、ガラッと勢いよく後ろ扉が引かれる。

「すっ鈴白です!! 遅刻しましたっ!!」
続いて高く澄んだ可愛らしい声。
ああ、やっと来た。私の天使。

「奈子!」

あまりの嬉しさに思わず名前を呼んでしまう。
今まで荒れていた嵐が吹き飛ぶように心が自然と落ち着く。癒やさる。安心出来る。


「ゆかりちゃん!」

名を呼ばれ、振り向かない訳にはいかない。だがその姿を見た瞬間、ぎょっとせざるをえなかった。

そこにいた私の『妖精』は、髪の毛は片方しか結んでおらず、ボサボサに束ねられている。
制服も所々砂がついている。
更には鞄には黒いシミが出来ており、そのシミは制服にも同様についていた。

生臭い匂いからして……これは…生たまご?

その初めて見る姿に唖然としてしまう。
いつもの可憐さはひと欠片も感じない。

「ど、どうしたの奈子?」
思わず引き気味に問うてしまい、この場にいる全員が同じような表情で奈子を見つめていた。

奈子は困ったように視線をさまよわせていたが、諦めた様子でぽつり。






「え、えとぉ……あ、あくしでんと?」
キーンコーンカーンコー…ン…

その声にかぶさるように虚しくチャイムが鳴り響いた。

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫