《MUMEI》
5
ゆかりちゃん。




ゆかりちゃんは、昔いじめられていた。

理由なんて至極簡単だ。
ただ、恵まれ過ぎていた。それだけだ。

容姿も勉強も家柄も。全てが全員の嫉妬への対象になってしまった。


その頃のクラスメイトは中学生のありがちな反抗期や、人間的に成長していない時期でもあった。
成績があがらない、人間関係がうまくいかない。

人々は無理やりに理由をこじつけ、ゆかりちゃんに当たっていた。「お前がいるから、自分が上がれないんだ」と。


単にただの八つ当たりだ。しかし人は他者を見下すことで優越感、ストレス解消。
ゆかりちゃんを床に這いつくばせることにより私が強い、能力的に優れているという快感を得る事を知ると、暴力をやめなかった。


その暴力は、最初は精神的でまだ悪戯のような今思えば可愛いものだった。
しかしクラスメイト達はその行為を続ける度、暴力に酔うようにゆかりちゃんに依存し続けた。

日に日に行為はエスカレートし、いじめも暴力的なものに変わっていった。
クラスメイト達は、自分達の暴力に陶酔し、玩具で遊ぶような感覚だったんだろう。

誰か一人が抜けがけでいじめを行おうとすると、他の人達は怒り狂ってその人までもいじめの対象としてしまった。
異常なほどの執着心で、異常な破壊衝動だった。


ゆかりちゃんは崩壊していったのはその頃からだ。
しかしそこまで我慢していたゆかりちゃんの精神力は凄いと言わざるを得なかった。

ゆかりちゃんは授業中何度も倒れたり、美術の授業中、抽象的で残酷な絵を描くようになり、しまいにはきちんと会話する事さえ困難だった。


でもゆかりちゃんは、不登校にはなることはなかった。それどころか無遅刻無早退無欠席であった。

明確な推理ではないが、両親に迷惑をかけたくないというゆかりちゃんの思いやりであった。勿論先生にも泣き言一つ言わなかったそうだ。

しかし、違うクラスの私がゆかりちゃんと会ったのはその頃だった。

放課後、課題の忘れ物をしてしまい教室に戻る途中の廊下でのことだった。

最初、端の影に縮こまる姿を見て一瞬猫かと思った。よく目を凝らすと膝を抱え、うずくまる女子だった。

その小さな肩は震えており、全身が濡れていて長い髪からは水滴が垂れていた。
袖から覗く痩せ細った手首には、痛々しく痣が見えた。


その普通ではない状態に、胸が締め付けられ、息苦しさを感じ、慌てて駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか?」

ハンカチを差し出すと共に、極力優しい声音で話し掛けると、びくっ、と体を震わた。

恐る恐る顔を上げたその表情は、何とも言えない悲痛。怯えて、痛々しく瞳を潤ませ大粒の涙をこぼしていた。


私の姿を認識した途端、流れる涙を溢れさせていた瞳を驚愕に見開いた。

「……っあ、ぁ…」
か細く、引きつるような悲鳴も漏らし、逃げるように後ずさる。

その姿を見て、悟った。
彼女がどんなに辛い思いをしてきたのか。


「大丈夫、私は何もしないよ」

「っい、や、いや…やめ……やめて…」

「怖くないよ、大丈夫だよ」

「あっ、あなたは…わたしを……いじめ、ない…?」

「うん。いじめないよ」

「わたしを……いじめ…ない…」

うわ言のように呟いて、声を殺すように泣き始めた。先ほどとは違う涙が頬を伝う。

泣き崩れる痩せ細った体をぎゅう、と抱きしめる。その体は完全に冷え切っていた。

しばらくはそのまま抱きしめていたが、その後はよく覚えていない。

授業中、ゆかりちゃんのクラスに突撃して片っ端の生徒から話を聞いたり、男子を殴ってでもいじめをやめさせた事など遠い過去にような気がする。

それからはゆかりちゃんも徐々に心を開いてくれるし、今に至っては唯一の親友だ。
しかし、たまにその時の記憶が思い出されるらしく、特に男子の卑しい嗤いを見るとあの時のような姿になる。

あのときの縮こまる姿。
誰にも助けを求めず、影で泣く姿。

私と、一緒。何も変わらない。

だから、惹かれたのかもしれない。
だから、手を差し伸べてしまったのかもしれない。


ーーーそんな思考をしている間に、授業開始のチャイムが鳴った。

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