《MUMEI》
8
すっかり日も落ち、燃えるようなまばゆい橙に濃紫色が混ざりあった空になって来た頃、やっとアパートに着いた。

慣れた手つきで鍵を錠に回すとカシャりと小気味よい音が鳴った。

この家に来て……4年になる。
その時間が“もう”なのか、“まだ”なのかはよく分からない。

キィイと軋みながら扉が開くと、低い段差の玄関が見え、小さな廊下が続いていた。
その先は真っ暗闇が家屋を覗かせていた。

昔はこの暗闇が怖かったっけな……と曖昧に思い出す。
当時中学1年生の頃、この古いアパートに越してきた。

昔は家族4人で住んでいたのだが、あるキッカケでバラバラになってしまった。
別に仲が悪いとかそんな単純な理由ではない。


部屋に足を踏み入れて後ろ手に鍵を占める。次に灯りのスイッチをカチリと押す。
部屋には青白い光が包み、全体を照らし出した。

今、お父さんは山形に単身赴任中で毎月仕送りが送られてくる。
兄は東京の大学に去年から通う為、アルバイトをしながら一人暮らしである。

そして、母はーーー


テーブルに買い込んだ食材を置き、息を吐く。
まず部屋着に着替えようとしたときだった。

簡易台所に備えつけられた小さな冷蔵庫の扉が開け放たれていた。
まさか、朝から開けっぱなしだった?

慌てて閉めたが、電気代の事を考えると大変憂鬱な気持ちになる。
また節約しなきゃなあ……しばらく自分の趣味に使う余裕はなさそう……

と、うなだれているときだった。


かさかさ。かさり。


背後でなにかこすれるような音が聞こえた。振り向くとテーブルに置かれたビニール袋が2つある。
一つは野菜がつめこまれており、もう一つは鯖がある、はず…なのだが……


「あれ……?」

そこにはただのビニール袋しか残っておらず、魚の姿形も見当たらなかった。

「あ、あれ? どこいった…?」

見間違えかと思い、もう一度見てみるがそこには袋しか残っていない。
さっきまではあったハズ……でもどこへ?

不思議な現象に眉をひそめていると、また背後から物音が聞こえた。

はじかれるようにバッ!!と振り返るが、誰もいない。虫一匹すらいなかった。

ただ、妙なことが起きていた。


さっき閉めたばかりの冷蔵庫が、“開いている”のだ。
いやそれはありえない。先ほどちゃんと扉を閉めた。電気代についてうなだれていたのは数分、いや数秒前だ。

閉める力が甘かっただけ?いやでも扉は全開まで開け放たれている。
そこには朝と何ら変わりないりんごジュースの列が見えた。


「…う、嘘でしょ……?」

ドクン、ドクン。急に心臓が早鐘を打ち始めた。

頭には『心霊現象』という言葉がよぎり、体の末端がすぅっ、と冷える。

ガタッ、ガタガタ、ガタッ

再び、背後から物音。

「ひっ…!」

引きつるように漏れ出た声はあまりにも小さかった。
後ろを振り返るのが怖くて怖くて、数秒硬直した。

怖い。いやだ。怖い。うそだ。
様々な感情が渦巻き、ドクドクといっそう鼓動が早まる。

落ち着け、落ち着け。
それだけを自分に言い聞かせて、固まる首を動かし、ゆっくり、ゆっくりと振り向いた。



その視線の先にはーーー


ぷかぷかと浮かぶ魚がいた。
その視線に気付いたのか、魚がゆっくりと振り向きーーー


「ぎにゃああああああああああ!!!!」

この状況で、絶叫せずにいられる人がいるのなら是非とも知りたい。

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫