《MUMEI》

【失踪】行方をくらますこと。
 事務机に備えつけてある重くて厚い辞書を膝の上に載せた夏田光基は、苦悶の表情をしていた。重みの所為ではない。
 光基は、深見慎一という男が所長をしている事務所で、アルバイトをしている。
 事務所の仕事内容は調査専門。世間一般でいうところ、学生である彼の仕事は、雑多な資料の整理に、荷物授受と配達である。
 大雑把に括ってしまうと、役割は雑用に限られている。
 本日も放課後、正規所員からの指令で指定された場所に出向いて、指定された荷物を受け取ってきたのだが、事務所は閑散としていた。
 元々が少人数ではある。
「紅茶がいいかな。それとも日本茶?」
 文あや香が、ティポットと急須を両手に携えて、微笑んだ。
 本来、お茶出しは一番下っ端の仕事だが、光基は、やらせてもらえない。
 所員達は所長を含めて、外出していた。
 内勤の彼女だけが彼の出勤を、癒しの微笑みで迎えてくれたのだった。
 エレベーターも存在しない雑居ビルの三階に、事務所は居を構えている。
 曇天の空模様だったのが窓の外では、いよいよ雨が降り出しそうだ。
「依頼があってね。博田くんは依頼者の自宅まで行っているから」
 紅茶と答えた光基に、あや香が話しながら、ティカップを渡してくれる。
「加宮さんは?」
「モンテスキューちゃんの中間調査報告。その後で、別の尾行、だね」
 どこぞで聞いた覚えのある啓蒙思想家の名だが、ミニチュアダックスフンドの名前である。

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