《MUMEI》
6 覚悟
「地を蹴る足には体重を乗せる。しかし力は入れるな。筋肉を弛緩させるんだ」

霊はおざなりに言うと、一人で勝手に隣の屋根に飛び移るではないか。


その姿を追おうとしても、暗い不可視の“恐怖”の壁が私を阻む。
「えっ、やだ置いてかないでよ…っ!!」

「大丈夫!!君なら出来る。諦めるなー」

努めて明るい声で返してくるが、その暗闇は予想以上に私を包む。


自分だけ浮けるからって…私には空飛ぶ箒も絨毯も翼も無い私に飛んでみせろと。

「無理だって、こんなの一人じゃ…」

先程、霊がいてもあの有り様だ。
さっきのを一人でやれだ?冗談じゃない。

真っ逆さまに暗闇に落ちるのが目に見えてる。


「僕が保証する!君は飛べる! 僕が落ちそうになっても助けてやるから!!」

遠くの屋根で叫ぶ霊。その声には嘘などついてはいないように思える。


「で、でも…こんな、」

恐怖がまたも悪戯に顔を出し始めた。
こんな数メートルの距離が一生越えられない、天に続く絶壁に見えた。

怖い…怖い……怖い。
じわじわと恐ろしいほど感情が芽生えては、大きく咲く。
2度落ちかけた恐怖。その実体が更に加速をかけるようだ。

自然と立つことが出来なくなって、膝がかくんと揺れる。
黒い瓦に手をつくと、嫌な冷たさが全身を駆け抜ける。

月明かりが反射し、瓦に映し出された自分の顔はもう涙で濡れてくしゃくしゃであった。

飛ばなきゃいけない、て分かってる。


………分かってるけど。
分かってるのに行動に移せない。それは状況を理解出来てないって事と一緒なんだ。


どうして、私はこんな事になってるの?


何故魔法少女になってしまったの?


「君の願いを、叶える為さ」
ぽつり耳元で囁かれた声は、しっかりと耳に残った。
顔を上げるといつの間にか、隣で笑みを湛えた霊がいた。


「ね、がい……?」
「そうさ、君は願ったから魔法少女になった。違うか?」
「………ちがう」
「え…?」


すぅ、と息を吸いこんだ。
自分自身を怒鳴るように。


「私はっ!! そんな安い願いで魔法少女になったんじゃない!! 私はどんな覚悟で今ここにいるの!?」


文脈も滅茶苦茶で、誰に向けて話してるんだと聞かれれば私は答えられない。


「私はね!! 自分自身にムカついてるのよ!! 私はいつも逃げて逃げて、挙げ句の果てに知らん顔で!!」

息を、紡ぐ。


「泣き虫で、嘘で固めた自尊心は汚くて!!本当の覚悟はないくせに!!」


ぽた、と拍子に水滴が落ちる。


「そんな私は覚悟も無いなら、今ここで証明してみせろ馬ァァァ鹿!!」


がすっ!!と瓦屋根に拳を叩きつけた。
ひび割れ飛び散るような音がしたような気もした。飛んで来た破片が頬に赤い筋を作る。


痛みを感じるよりも早く、粉々になった瓦を踏みつけて立ち上がった。

そのまま足裏で瓦を蹴り、飛んだ。


「私がっ!!」


「私が、死ねばよかったんだよ!!」


一一一5年前、母を亡くした。
死因は、強盗に刺されて息絶えた。

ある日人質にされた、幼い自分を守ろうとして。
母は一瞬の隙を逃さず、強盗の手から私を連れて逃げた。


その時、抱えられるようにして逃げている時後ろを見た。
口元を歪ませ、ナイフを振りかぶる男を。


そのまま母は何度も何度も執拗に刺された。
しかし私の体には刃は当たらなかった。


母は、血だまりで笑っていた。



「うわぁぁぁぁぁ!!!」

あの時、実は私の不注意起こった事故だった。
兄と喧嘩をして、勿論原因は私が悪いのだが家を飛び出してきた。

その先に強盗犯がいて、現場を目撃してしまったのである。
本能のまま逃げようとして、慌てたら転んでしまい見つかったのだ。


私が悪いんだ。全部。
母がかばって助けてくれなければ、今頃母は一一


だから、私が。

私が、お母さんを“生き返らせる”。
それが、私の願いだ。

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