《MUMEI》

「モンテスキューが内にいるって言うなら、外には何が出てきたんだよ」
「例えば、店長の愛人とか?でも、」
 内と外が常に釣り合っているとは、誰も断言することなんて、できないと思わない? と、続けた春歌が恐ろしく整った美しい顔で微笑む。
 思わず、無限に続く平行世界を想像してしまって、光基は身震いした。
「特異点ってあるでしょう」
 いまさら、数理の話ではあるまい。
「ブラックホールのこと?」
 超高密度、大質量で、強力な重力のために物質も光も脱出できない天体である。
 是とも否とも言わない春歌が、肩にかけた鞄を叩く。
 魔法をかけるかのような仕草で、ゆっくりと仮想の本らしきものの表紙を撫ぜて、ページを捲っていく真似をしたように見えた。
「多分、古書だけがあっても駄目なんだと思う。問題は、場所か人物か、何らかの法則や要因なのか」
 登場人物が抜け出るという現象は確定してしまっているらしい。
 古本屋キチキチ堂に何かあると思っているのは間違いないのだろう。
 特異点というのは、厄介なものである。
 点がきっかけで全ての事象が巻き起こり、点がきっかけで全てが収束していくのだ。
 蝶の羽ばたきから、桶屋が儲かるまで。
 SFの世界、ふたたび。
 大概、オタク気質なんだよな、と光基は胸中で突っ込みを入れる。
「店、閉まってるんじゃないの?」
「だから、探りに来たんじゃない」
 煉瓦造りの三階建物を目前に見上げて、春歌は強気に微笑んだ。

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