《MUMEI》

「何、何なの」
 今や、店内に風が吹き荒れて、春歌が何かを見極めようと両腕をかざす。
 隣にいた水杜が咄嗟に彼女の腕を掴んだが、二人の体が宙に浮いた。
 すぐに目を開けていられなくなって、光基も側の棚に掴まる。
 只一人、風の影響を全く被らず、茫洋と佇んでいる博田の姿が、直前に目に入っていた。
「何であんた、平気なんだよっっ」
 我ながら間抜けだとは思う。光基は自分では、どうにもできない得体の知れない力によって、吸い込まれていくのがわかって、叫んでいた。
 ブラックホールって、こんな感じなのだろうか?
 気がつくと、何もない場所にいた。気配だけが濃密に渦巻いている。
 目の前には、壊れた機械人形のように同じ台詞を繰り返している女性が、いた。
「あなたを、探している人がいるよ」
 焦点の合っていなかった瞳が像を結んで、正気に戻りつつ、光基に向けられる。
 記憶に残っている虹彩が大きくて子猫のような、濡れた瞳。
 博田が持ってきていた写真の人物であった。
「どうして、こんなとこに来ちゃったんだよ。彼氏に愛想尽かしたとか?」
 対象が微笑む。春歌のとは違うが、やはり美しい微笑みであった。
 そんな顔をするくせに。
 光基は何だか理解のできない気持ちに、複雑な心持ちになる。
「帰んないの?」
「もっと言ってやって。つーか、一体どうやったら帰れるっつーの」
 突然、背後から声が上がる。

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