《MUMEI》

「沙弥!」

鍵の掛かっていない自宅の玄関に違和感を覚えたが、迷う暇もなく開け放つ。

しかし、その家内に待っていたは筈の娘――…沙弥の通る声が聞こえてこない。いつもなら、誰よりも早く「おかえり!」と言うのだが。

「沙弥?」

もう一度呼ぶが、響くのは自分の語尾だけ。

「どうして…。」

靴を脱ごうと片足を上げ、空いた左手を踵にかけると、玄関の扉が外を遮断する前に、
携帯電話の着信音が空の家に響いた。

この着信音は、特別に設定した人以外の全ての人が適用する音楽だ。

つまりこの電話は親しい人では無いのだろう。

多少悪い気もしたが、現状を理解する為に少しの時間が必要に思えたので、無視をした。

チャラーチャーチャーラ♪

……長い。

思った以上に粘り強い呼び出し。その事も加担して、罪悪感が心に纏わりつく。

これは出た方が良いだろう。

「もしもし?」

仕方無く携帯の画面を開くと、そこに登録名はなく、番号が映っていた。

「こんにちは。坂上智子様ですね。」

「どうして私の名前を知ってるの?」

問い詰める様心掛けたが、全く効果が無い様子だ。

「愚問ですね。知っている理由はいいのですよ。必要なのはどうして知っているのかではなくどうして電話を掛けたのかです。」


だらだらと理屈っぽい言葉を連ねた男の声に、少々苛つきながらも普通の声で問う。

「じゃあ、どうしてあなたは電話を私に掛けたの?」


「一つ、報告をしようと。」


「報告?」

苛つきを押さえ(顔には出ていたと思うが)淡々と続ける。

「はい。自宅に居る筈の娘様がいない事で焦っている頃だろうと思いまして。」

「沙弥がそこにいるの!?」

ついつい荒ぶり、携帯電話を両手で掴む。

「はい。今、私の隣に居ます。それで――…。」

「沙弥に代わって。」

「…………了解しました。」

男は大人しく言う事を聞き、少しの沈黙が流れた。その間にも、脳内でこれからの計画を描く。

「…お母さん?沙弥だけど。」

「沙弥!」

しかし、そんなものは沙弥の声に吹き飛ばされた。

「突然なんだけど、心配しなくていいから。ちょっと…会えなくなるだろうけど、絶対に帰って来るよ。今、会わなきゃいけない人が居るから。」

「ちょっと!」

再びの沈黙。

あいつ…自分の要件だけ言って放置しやがった。


全く、誰に似たんだか。

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