《MUMEI》 今夜は満月だ。 青白い光が森に落ちて、館に木々の影を伸ばしている。 開け放した窓から春先の生暖かい夜風が流れこみ、微かにカーテンを揺らしている。 二階にあるダイニングルーム(食堂)の片隅からは、大昔の映画でしか見られないような蓄音器から、ベートーベン『月光』の第一楽章が厳−おごそ−かに流れていたが、それが終了すると、鬼束ちひろの『月光』が始まった。 「何だ、そりゃあ?どんな選曲だよ?」 食卓で匡子が毒づくと、 「しっ!」 梨々香がそれを鋭く制する。 「お待たせ〜♪」 キッチンルームから摩起が姿を見せると、食卓で硬直したように並んで腰かけている三人の顔に、緊張が走った。 摩起は鬼束ちひろの『月光』をフンフン鼻歌で歌いながら、急に引きつった愛想笑いで顔面を装−よそ−おった三人の前に歩みよる。 ガシャン!と音を立てて盆に載せられた巨大なケーキが置かれ、 「ヒィーッ」三人の喉奥で押し殺した 悲鳴が漏れた。 「と・・・・とっても、美味しそうなケーキでございますね、ご主人様」 愛想笑いしながら言う梨々香に、 「そうでしょ?摩起の自信作よ!たーんと召し上がれ♪」 包丁で切り分けたケーキを、三つの皿に 器用に盛り、三人の前に滑らせた。 「い・・・・いただきます」 緊張しながらケーキをスプーンに掬−すく−い口元ヘ運ぶ三人を、食卓の向かいに座り、頬杖をついてニコニコ顔で見守る摩起。 「んどう?」 モグモグ口を動かしていた梨々香の顔に意外そうな驚きの色が浮かぶと、 「う・・・・美味−うま−い!」 その一言に、摩起の満面に大きな笑みが広がる。 「どーう?腕を上げたでしょ?」 「た・・・・確かにこりゃ、美味いわ!いつものあれとは・・・・いや・ ・・・いつも以上に美味−おい−しいです、ご主人様!」 「確かにこんなに美味いケーキ、今まで食った事ないわー!!」 「んー、んんまあーい!まじ美味すぎる!生きてて良かった、本当ーー!!」 感涙でもしそうな勢いで、三人ともがつがつ貪るように皿の上のケーキを平らげた。 「あらあら!そんなにがっつかなくても!まだまだたくさんありますからね!」 新たに切り分け、皿によそってやれば、 三人とも嬉しそうにまたそのケーキにかぶりついていく。 「そ・・・・そう言えば、ご主人様はお食べにならないんで?」 スプーンを夢中で口に運びながら、 梨々香が上目遣いで問うと、 「いいのよ、私は。さあ、遠慮しないでどんどん召し上がれ♪」 相変わらず頬杖にニコニコ顔の摩起に、一瞬不審そうな顔をしたものの、 再び皿を見下ろした梨々香の表情が、 次の瞬間見る見る青ざめていった。 ひゅう! 梨々香の息を吸い込む音がダイニングルームに響き渡った。 「ゲーー!!」 皿を払いのけ横を向いて上体を屈めると、床上に胃の中のものを残らず吐き出していた。 吐瀉物−としゃぶつ−の中で何かが動いていた。 「あらあら、梨々香ちゃんたら、お行儀が悪いのねぇ」 前へ |次へ |
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