《MUMEI》
7
人間は、案外視野が狭い。

一つの物事に意識を囚われ過ぎると、周囲の状況判断力が低下する。
だから、気づけなかった。

視界の端に映った、誰かの足を目で捉えた瞬間、心臓が跳ね上がる。


「うわっ!?」
「きゃ…っ!?」

無意識に、猫を撫で続けていた手を引っ込め立ち上がり、体を180度回転させた。


小さな悲鳴をあげた主は、その細かい三つ編みと、ぼさぼさの長い前髪を跳ねさせて、しゃがんでいた俺と入れ替わるように尻もちをついた。

俺はそんな髪型の人を知っている。というか、クラスで毎日会っている。


「……萩乃さん?」
「ちちがいますっ!!……え? いやっ違いませんけどっ」

どっちなんだ。
懸念に眉を寄せると、萩乃雪季は更に手を振りアタフタと慌て始めた。


「えとっ、あっ、あのですね……その…」


この後、たどたどしく伝えられた事によると、どうやらこの昼休みはいつも中庭で昼食をとっているらしいのだが、今日は先客がいたらしく、どこか一人で落ち着ける場所は……と散策していた所、何故か屋上の扉が開いていたので試しに登って来てみたら、死角に俺がいて驚いて……という訳なのだそうだ。


普段、屋上は施錠されており立ち入る事は出来ないのだが、俺は生徒会副会長という権限をフル活用して、屋上で一人昼食を食べているのだが……

今日はどうやら扉を開けっ放しだったらしい。いつもはちゃんと閉めるのに。間抜けか。
まだ落ち着かなさそうな萩乃の前で、自嘲気味のため息をついてしまう。


ともかく、まだへたりこんだままオロオロしている萩乃さんを立たせようとする。
俺の声のせいで、驚いて尻もちついたようだし。

と思って助け起こそうと手を出しかけたが、また慌てられても面倒なので仕方なく半ば強引にほっそりとした手首を掴み、ぐっと引き寄せた。

萩乃さんは小さく悲鳴をあげながらも、力が抜けている足腰で何とか立たせる。
続いて足元に転がっていた、以外に大きめなお弁当箱を拾い上げ、「はい」と手渡す。


萩乃さんは、俺の手と俺と顔を何度も視線を往復させ、顔の下半分を少しだけ赤らめ、まだ掴んでいた手を素早く振り払った。
相変わらずこういうのは俊敏だ。

何だかこの光景、1週間前も見たな……


と廊下でぶつかりプリントを拾い上げた事を思い出す。

「あっ、ありがとございます……」

拾ったお弁当箱を胸の前で抱きしめながら、ぎこちない会釈をする。
柔らかそうな髪の毛が北風でふぁさりと揺れる。


「いや……驚かせてごめん」

視線は向けつつも、萩乃さんの方へ一歩近付き体を滑りこませる。
俺の背には目の見えない子猫がいる訳で…

きっと見知らぬ人の気配があると怯えるだろうと言う心配と、もう一つ。


学校では動物を敷地内に入れてはならないからである。
それは立派な校則違反であるし、それを知っているであろう現生徒会副会長の俺が、子猫を撫でていたという事実を知られてしまえば、校則違反では無いにせよ、それを見過ごそうとしていたのだから悪評が広まる事は間違い無いであろう。

そんな事態は選挙に立候補した身としては何とかしてでも避けたい。


「……あの、俺も今一人になりたくてさ…だから萩乃さんには悪いけど…違う場所当たってくれないかな」

こんな状況でも世間体を気にする自分に苦笑を含んだ作り笑いで、目の前の少女に話しかける。


恐らく俺の背で猫の事は見えてなかったはずなので、とにかく退散させるのが先であろう。
そもそも俺の事も死角で見えなかったらしいし。



と俺の内心冷や汗をかいてるとも知らず、萩乃さんはハッとした様子で渋々頷いてくれた。


「あ………はい。……お邪魔してごめんなさいでした……」

ちょっと寂しげな雰囲気で会釈し、階段方面へ振り向いてくれた。
その後ろ姿にほっ、と安堵の息をついた瞬間だった。






背後から、みゃーとか細くて可愛らしくて、それでいて絶望的な鳴き声が聞こえてくるのだった。

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