《MUMEI》

「唄ってよ。始めから」
 耳元で少年が言った。
 唄ってくれたら、手を放すと続けて囁かれる。
 訳のわからないままに唄いながら気がつくと、少女は、少年の背中に腕を回していた。
 彼の両五指は彼女の背中で周期的な反復をしており、何かにしがみついていなければ声が僅かに震えてしまう。
 唄い終わる頃には、いつしか少女に巣食って押さえ込んできた得体の知れない魔物が、今にも暴れ出しそうになっていた。
「もう一度」
 これ以上、声を出してしまえば、取り返しがつかなくなる。
 温もりに包まれて、少女はわかってしまった。
 少年は、否を唱えようと抗い首を振る少女を放してはくれない。
「叫べばいい。全て雲が吸収してくれる」
 泣いていいよ、と日のあたる知らぬ土地から来たであろう少年が囁く。
 何れは何処かへと去って行く人でしかないのに。
「その紅い石をくれる?」
「いいよ。その代わりもう一度、唄って」
 促すように反復が始まって、彼女は叫ぶように唄っていた。涙は一粒も零さなかった。
 手すりにもたれて少しだけ微睡んだ夜明け前。
 星の名と、紅い鉱石を少女の片耳に残して、少年は廃校を出て行った。
 約束は交わさなかった。
 けれど、いつかまたきっと魔物を退治しに現れるのではないだろうか。
 何て希望的観測。
 少女は空を見上げ、綺羅綺羅星を唄う。
 穏やかな声は緩やかに大気を流れる。
 やがて、ゆっくりと明けていく天上へと融けていった。


    終幕

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