《MUMEI》

 冷蔵庫の中は空 一人きり寂しい部屋
鳴らない携帯 その中に残る大量の迷惑メール
その全てに何故か泣きたいような気持ちになっていた
何もかもが上手く行かない様な気がして
大学からの帰り道、ふと立ち寄ったコンビニで無意味に時間を潰す
「……帰ろ」
これと言って何を買うでもなくソコを後にした戸河内 樹はその帰り道
ふわり、何処からか甘い香りが漂ってくる事に気付く
甘い、花の香り
一体何処からと辺りを見回して見れば目の前
「……フラワーショップ 花風?」
小さな、花屋を見つけた
ソコに張り出されていたアルバイト募集の張り紙
その文字に、戸河内は不意に脚を止めた
何の変哲のないその張り紙が何故か気に掛り
戸河内は無意識に張り紙を剥がすと、ソレを持って店の中へ
「いらっしゃい。ゆっくり、見てってね」
中には店員らしき男が一人
花の一つ一つに水をやっている処だった
その男は直ぐに戸河内が張り紙を持っていることに気付き
僅かに笑みを浮かべるとじょうろを置いた
「もしかして、バイト希望の人?」
「え?」
突然かけられたその声につい口籠ってしまえば
男は笑みもそのままに戸河内の手を指差す
「それ、うちのバイト募集の紙でしょ?だから、そうなのかなって思ったんだけど」
違った?と更に問われ戸河内は漸くその事に気付く
手の中で皺になってしまっている紙
しまったと相手の顔を見やれば相手は変わらず笑ったままだ
「できればバイト、来てくれると嬉しいんだけど」
唐突に過ぎる申し出
つい驚いたような表情を返してしまえば
相手は行き成りどうしてか、おいでおいでと戸河内を手招く
「お茶でも、どう?ハーブティー、美味しいよ」
ふわり香ってくるその香りに
それまで胸の内に溜まっていた何かがフッと軽くなった気がして
戸河内は小さく頷くとソレを受け取った
「あ、美味しい」
素直に口を付いて出たその言葉に
相手はさも嬉しそうに、子供の様な笑みを浮かべて見せる
「バイト、来てくれればティータイムも付けちゃう、どう?」
どうしても戸河内をバイトさせたいらしい相手
一体何故、と思いもしたが
その表情に一瞬だが何かを憂う様なそれが混じり、聞く事が躊躇われた
返事に困り、暫くそのハーブティーを啜りながらつい相手を凝視してしまえば
「別に、返事は今じゃなくてもいいから。気が向いたら、来て」
考える時間はくれるらしい相手に
戸河内は小さく頷きながらハーブティーを飲み干す
「……ごちそうさま。お茶、美味しかった」
「それは良かった」
「じゃ、私帰る」
「気を付けてね」
手を振りながら見送ってくる相手へ
小さく手を振り返しながら戸河内はその場を後に
店を出てすぐ、赤信号で立ち止まれば
その横断歩道の隅に一輪、花が手向けられている事に気が付いた
「……事故でも、あったのかな」
たった一輪、ソコに在る花
だが知る術など戸河内にはなく、気になりながらもその場を後に
進む帰り道、その足取りは何となく軽い
つい先まで、泣きたいと思って居た筈なのに
「……単純」
鳴らなくなった携帯は鞄の中
空のままの冷蔵庫に居れるための食材を買いにスーパーへと寄り
手当たり次第買い込み帰宅
「なんか、いいかも」
目一杯詰まったソレを眺めながら、戸河内は満足そうな顔
さて何を食べようかと悩み始め、そして手に取ったのは
安売りしていたパスタ
ソースと共にゆでるだけという簡単な調理をこなし食べ始める
普段と何ら変わり映えのしない味
暫く食べ進め、戸河内は箸を置く
「……行って、みようかな」
ふいに、そんな事を呟く
何故そんな事を思ったのか、戸河内にも解らない
多分、そう思わせたのはあの男
あの瞬間見せた表情がどうしてか忘れられなかった
取り敢えず明日
授業が終わったら店を覗いてみようと
戸河内は一人頷きながら食事を再開したのだった……

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