《MUMEI》
MY LOVE SONG (2)
シャキーラ(Shakira)という呼び名で親しまれている、
1977年2月生まれの、コロンビアのラテン・ポップ・シンガー・ソングライターを、
美樹はコーピーして、歌うこともあった。
南米(なんべい)独特の明るいリズムやメロディを持つシャキーラは、
目標にするくらいに、美樹は中学生のころから好きだった。

そんな美樹だから、男女あわせて70人ほどもいるバンド・サークルでも、
すぐに注目された。

美樹を、意識する男子学生が何人もいることも、ごく自然な感じであった。

信也が、彼の好きな椎名林檎(しいなりんご)に何となく似ている美樹を、
意識しないわけがなかった。

しかし、サークルの仲間同士で、女子学生の獲得(かくとく)競争に
なるようなことは、ばかばかしくてやってられないと、信也は思うのだった。

『そんな獲得競争、恋愛競争なら、おれは、いち抜(ぬ)ける、やめるよ・・・』
信也はそう決めたのだった。

そんな自分の判断に、自分の本当の心に、誠実ではない、
素直ではないんじゃないかと、思って、迷うときも、なんどもあった。

そんなときは、たまたま読んで、強烈に印象に残っている、
ロシアの文豪・ドストエフスキーの小説
『地下室の手記(しゅき)』の主人公が語る
「苦痛は快楽である」という言葉を思い出したりした。

その言葉は、逆転したテーゼ(肯定的判断)ともいえるわけで、信也は、
なるほど、ドストエフスキーは、現代作家にも影響の深いといわれるし、
偉大な作家なんだなあと、感心するのだった。

しかし、そんな信也を見ていて、どこか子どもっぽいと、
美樹は感じるのであった。

そして、好感や親しみも深まってゆき、美樹の信也に対する呼びかたも、
川口先輩(せんぱい)とか、信也さんとかから、
しんちゃんになっていたのであった。

「どうして、最近、おれって『しんちゃん』になったんだよ」

あるとき、信也がわらいながら、美樹に聞いた。

「だって、信也さん、私の好きな『クレヨンしんちゃん』と
どこか、かぶるんだもん」

そういって、美樹は悪戯(いたずら)っぽく、ほほえんだ。

「おれも『クレヨンしんちゃん』好きなほうだから、まあ、いいけど。
でも、どうせなら、『ワン・ピ−ス(ONE PIECE)』の
ルフィが好きだから、ルフィとかフィルちゃんとか呼んでくれたらいいのに」

そういうと信也は、何がおかしかったのか、腹を抱えるほど、わらった。

美樹が呼び始めた『しんちゃん』は、たちまち、みんなに広(ひろ)まった。


美樹は家の駐車場に、信也のスズキ・ワゴンRを停(と)めさせた。

家にいる両親を外に呼び出して、美樹は信也を紹介した。

母親は、「美樹も、よく、川口さんのことは話してくれています。
私どもも、川口さんなら安心と思っているんです。
これからもよろしくお願いします」といって、ほほえんだ。

「家でゆっくりしていってください」と父親もいった。

信也は「こちらこそよろしくお願いします」といって、
深々(ふかぶか)と頭を下(さ)げた。

「きょうは時間がないから、またね」と美樹はいうと、
信也の手を引っ張(ひっぱ)って、ふたりは、
都立駒場(こまば)公園へと、早足(はやあし)で向かうのであった。

高校や東大の研究センターの横道を抜けると、
歩いて、15分ほどで、
広い芝生や樹の生い茂(しげ)る駒場公園だった。

「このへんにも、いい公園があるんだって、
しんちゃんに見せたかったのよ」と美樹が信也に話す。

「本当だ。立派な公園だね」

「あれが日本近代文学館よ」と、美樹は、グレーの
コンクリート造(つく)りの建物を指さした。

「あっちの建物は、前田侯爵邸(まえだこうしゃくてい)とかいって、
100年くらい前に建(た)てられて、当時は、
東洋一の邸宅と、うたわれたんだって」

「そうなんだ。あとで行ってみよう」

信也はポケットから、アップルの携帯型デジタル
音楽プレイヤーのアイポッド(iPod)を出した。


≪つづく≫ 

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