《MUMEI》

 「ありがとうございました!」
翌日から、戸河内の姿はフラワーショップ花風の軒先にあった
大学の講義がない空き時間を利用し、仕事を教えてもらう日々
仕事は思いのほか楽しく、相手に褒めてもらう事もやはり嬉しかった
「……処で、今更、何だけど」
手は作業に動かしながら、戸河内は徐に話を切り出す
同じく作業に手を動かす相手は手を止め、何を返してくる
「……名前、なんていうの?」
「名前?俺の?」
そういえば、と名乗っていなかった事に相手も漸く気付いた様で
僅かに肩を揺らし、名刺を差し出してきた
藤本 愛美
名刺に書かれているそれは女性の様なソレで
ついその名刺を凝視してしまえば
その事を察したのか、相手・藤本は照れたように笑って見せる
「女の子みたいな名前でしょ。実際はこんなおっさんだけど」
「おっさんって、自分で言っちゃう?」
「だって、おじさんもう35だし」
充分におじさんじゃない?と、だがその笑みは子供の様なそれで
見せてくれるあどけなさに戸河内はすっかり馴染んでしまっていた
「よし、じゃ行こっか」
その場の空気がほんわりと和らいだかと思えば、徐に取られた手
どうしたのかを問う寄り先に、藤本は店の戸締りをし
小さな荷を一つ抱えると、配達中の札を下げるとそのまま歩き出した
「ちょっ、何処行くの!?」
行き成りなソレについ異を唱えてしまえば
藤本は振り返る事はせず
「知り合いのトコ。大丈夫、ちゃんとお仕事だから」
安心して、と笑って見せる藤本
そう言われてしまえばそれ以上戸河内は何も言えなくなってしまい
取り敢えずは藤本の後に付いていくことに
「畑中、居るか?」
訪ねたソコは某所にある古着屋
花と全く関係ないのでは、と戸河内は訝しみながら
入ってみた店内をつい見回す
「あら、藤本。いらっしゃい」
出迎えてくれたのは見た目美人な女性
だが聞こえてくるその声は女性のソレにしては随分と低く
どういう事なのかを藤本へと聞いてみる
「そう驚かなくても大丈夫。そいつ、単なるオカマだから」
「単なるオカマって……」
果たしてソレを(単なる)で済ませてもいいものか
戸河内はそう思わないでもなかったが、深く追及するのも何となく怖い
「藤本。ねぇ、その子……」
つい凝視してしまえば目が合ってしまい
その相手は何故か戸河内を見、驚いたような表情だ
「……立ち直れたと受けとめていいのかしら?」
相手は何かを藤本へと問う
それが一体何の事か、戸河内には知る術はなかったが
藤本は僅かに口元へ、微笑か苦笑かわからないソレを浮かべて見せる
「まだ、微妙って訳。ま、仕方ないんでしょうけど」
言って終わりに、相手はなぜか戸河内の方へと向いて直りながら
徐に手を振りおいでおいでをする
何事かと警戒しながらも一応は近く寄っていく戸河内
間近まで寄ったかと思えば、手を取られ引き寄せられる
そして耳元に相手の唇が寄せられたかと思えば
「……奴の事、宜しく頼むな。お嬢ちゃん」
それまでの女性の様な甲高い裏声から一転
男性そのものの相手の声が聞こえてきた
行き成り過ぎるソレに戸河内は弾かれるように顔を上げる
「あら、少し驚かせすぎちゃったかしら」
ごめんなさい、と謝ってくる相手はすでに裏声のソレに戻っていて
一体どういう事なのか
ソレをすっかり聞きそびれてしまっていた
「樹、どうかした?」
藤本の声で我へと帰り
取り敢えずは何でもないを返しながら、だが戸河内は相手をまじまじと見据える
この男は、何かを知っている気がする、と
「あら、そんなに見つめないで。照れちゃうじゃない」
先の真剣な表情はすぐにそのなりを潜め
それまでのオネェな口調
一体、この男の本質はどちらなのか、益々解らなくなっていく
「畑中――。手出し厳禁」
悩んでいた最中、不意に腕を引かれ
何事かとそちらを向いてみれば、藤本が戸河内を自身の方へと引き寄せていた
「あら、可愛い子独り占め?ずるいわ」
「お前、確か恋人居ただろ」
「居るわよ。でも、ソレとこれとは別。可愛い子は皆の宝物なのよ」
「なんだよ、その理屈」
訳の解らない理由で藤本を言いくるめようとする

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