《MUMEI》
1
 (悪い夢、食べます)
自宅アパートの壁に、そんな張り紙を見つけた
一体これは何の事なのだろうと脚を止め
斎藤 優はついその張り紙を凝視していた
「今日は。可愛らしいお嬢さん」
その紙につい見入っていると背後から行き成りの声
耳に間近に聞こえてきたそれに驚き、弾かれたように向き直ってみればソコに
何故か満面の笑みを浮かべた男が一人、立って居た
「……君、とてもいい匂いがする」
一人言に呟いたかと思えば斎藤の首筋へと鼻先を寄せ
その匂いを確認するかの様に何度も鼻を鳴らす
「……君の中には、悪夢が溢れてる」
「何の、事?」
相手の身体を押し退けようとしながら斎藤が問うてみれば
だが相手は答えて返す事はなく
その口元にニヤリ不敵な笑みを浮かべて見せた
「……今は内緒、だよ。それは直ぐに、形になるから」
待っていて、と更に楽し気に笑いながら、相手は踵を返す
消える様にその場を後にした相手
訳が解らず、暫くその場に立ち尽くした斎藤
本当に、何だというのか
だが考えて分かる筈もなく、斎藤もまたその場を後に
自宅へと到着し、荷を放りだすとベッドへとそのまま倒れこむ
一人きり部屋、音もなく静けさばかりがソコに在って
それが今はどうしてか斎藤を酷く不安にさせる
「……寝ちゃお」
その不安から逃れるかの様に早々に布団に入り眼を閉じる
君の中には、悪夢が溢れている
先の男の言葉が気に掛り、どうしても眠れない
「……悪夢、か」
眠れば、見てしまうのだろうか
あの男の言う、悪い夢を
「……大丈夫、だよね」
気にすることなどない、と床に入り眼を閉じる
ゆるゆると寝に入って行く感覚
意識が途切れる、その瞬間
目の奥に突然、ドロリ赤黒いものが見え始めた
それは段々と広がっていき、斎藤を覆い始める
目を覚まさなければ、そう思うのに
どう足掻いてみても、それは出来なかった
怖い、恐い、コワい
何度もそう叫ぼうとするのだが声が出ず
どうにかして逃れようと伸ばした手に、不意に何かが触れた
「……何故、こんな所に居るんだ。お前は」
低く、ソレでいて聞くに心地のいい声が耳元で聞こえ
そしてその手が掬い上げられる
ふわりとした感覚に顔を上げてみれば
目の前に、穏やかな笑みを浮かべた男が一人
引き寄せられたかと思えば、斎藤はその男の腕に抱え上げられた
「……誰?」
「聞いているのはこちらなんだが、まぁいい」
男はやんわりと苦笑を浮かべながら、斎藤の目を不意に掌で覆う
遮られた視界
漸く何も見ずに済み、斎藤はホッと胸を撫で下ろしていた
「……取り敢えず、この悪夢を喰うのが先か」
相手の呟きが聞こえたかと思えば、目を覆っていた相手の手が退く
途端に開けた視界
それまで暗くドロドロとしたソコが、全て白へと変わっていた
「……何、したの?」
変わった景色に問うてみれば
相手は答える事はせず、唯笑みを浮かべその姿を消す
「……待っ――!」
引き止め、腕を掴もうとした瞬間
斎藤は弾かれるように目を覚ましていた
辺りを見回して見れば見慣れた自宅
当然ソコに居るのは斎藤一人で、その事にホッと胸を撫で下ろす
「全部、夢だよ。うん、絶対そう」
自分に言い聞かせる様に何度も呟きながらベッドから降りれば
その足元、、何かが落ちている事に気付く
拾い上げてみればそれは片目だけの眼鏡
「これ、何……?」
斎藤自身のモノではない、ならばこれは誰のものなのか
考え始め、そして寝の最中見えたものを思い出す
「……これ、アイツの……」
夢の中の男が左目に付けていたもの
何故、それが今目の前にあるのかと訝しみ
ソレを、何となしに覗き込んで見た
そのレンズ越しに見えたのは、それは何とも形容し難い何か
これは一体何なのだろう、と更に奥を覗き込んでしまった
次の瞬間
斎藤の視界が朱に染まっていった
血の様な赤黒さ
見ていると、まるでその生臭さが漂ってきそうな錯覚さえも起こる
これは、持っていてはいけない
本能的にそう察した斎藤は窓を開き、ソレを外へと放りだしていた
これでいい、これで大丈夫
もう拘るまいと窓を閉める斎藤
暫くすると来客を知らせるチャイムが鳴り

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