《MUMEI》

「取り敢えずは…。」

誰に言うでもなく小さな音量で呟き、ボロボロになった仕事用の手帳を上着の内側のポケットから取り出す。

予定としては、一時には到着していたいところだ。

「そんなに急がなくても平気かな。」

現在時刻は九時十二分。

余裕も余裕の到着だろう。

ここから目的地までの時間が多くても三時間と見積もっても余裕だ。

今からアポなしで突撃する場所は、矢吹の実の母である柊茉莉乃の入院している病院、神奈川県の横須賀総合病院だ。

相当大きな病院なので、病名の特定が難しく、実際に行かなくてはならない訳だ。

まぁ、そうでなくとも私の独断で訪問していただろうが。

「うっし!」

人のいない廊下にも、私以外の人の声が響いている。

これは幽霊だとか、そういう話ではなく、ただ単に。

ガチャ

「もしもし、こちら東新聞社で――…!」

「その資料こっちのでしょ!」

「なんでまだ取ってないんだよ、明日だぞ?」

「その件に関しましては、うちの湊川が――…。」

廊下に面している部屋の中がこの通り五月蝿いからである。

東新聞社は私の勤務先である。

読買新聞や今日新聞に並ぶ月暮新聞を出版する人気の出版社である。

「湊川、車だして。」

それらの声に埋もれないように声を張るのはいつもの事だ。

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