《MUMEI》 「……も、いい。降ろせ」 暫くそのままで歩いていると聞こえてきた田所の声 人の目が気になるのか、降ろせと改めて言ってくる田所へ だが岩合はソレを聞いてやる事はしなかった 結局、田所の訴えは車へと乗せられるまで聞き入れられる事はなく シートに身を預ければ、すっかりなじんでしまった岩合の匂いが間近 安堵、したくなどないのに それでもそうしてしまうのは、この状況下で縋れるものがこの男しかないからだと 田所は自分を無理矢理に納得させる 自分の解らない感情に不安を覚え岩合の方を無意識に見やる 視線が重なり、岩合の手が頬へと触れてきたかと思えば そのまま唇が重ねられる 「……っ」 この男のキスは本人とはまるで真逆で酷く甘い 身体がその甘さに従順な反応を示し、田所は羞恥に身を捩る 「……ここじゃ、嫌だ」 「何故?」 「また、シートが汚れる、から」 もう、あんな事は御免だと岩合の袖を強く掴めば どうやらその訴えは聞き届けてくれるのか 岩合は田所から離れ、車を走らせ始める 岩合宅へと戻るなり連れ込まれたのは どうしてか寝室ではなくバスルームだった 全てを顕わにされ慌て始める田所を余所に 岩合は湯を田所の頭上からかけ始める 「洗ってやる。全身、きれいにな」 触れてきた岩合の指 衝動的にガラスを打ち割ってしまったあの時に切ってしまったのか その至る所に血が滲んでいた 「……何で俺なんか助けに来た?」 傷に労わる様に触れてやりながらその旨問うてやれば 岩合は何を応える事もない 否、岩合自身もその問いに対して明確な理由など解らず 返す答えを持ち合わせてなかったといった方が正しかった この男はどこまでも自分を掻き乱す 振り回されてしまっている自身にも苛立ちを覚え 岩合は田所の後頭部の髪をやおら掴み上げると 上向いたその唇に、自身のソレを重ねていた 息をも奪い、そのまま殺されるのではと恐怖を覚えるほどの執拗な口付け 浴室の熱気も手伝って朦朧としてくる田所の意識 あと少しで意識が完全に途切れる もういっそのこと手放してしまおうと、全人から力を抜いてしまえば 唇が、離れていった 「……お前は、無防備過ぎる」 「そんな、事……」 「あるから、アイツにいい様にされるんだろうが」 岩合が見せる、明らかに苛立ったような表情 自分に向けられる岩合の感情が解らない この男は一体自分をどうしたいのだろうか、お 更にかすみがかってくる意識の中、そればかりをぐるぐると考える だが他人の胸の内など分かる筈もなく これ以上考える事はやめておこうと、田所はそのまま意識を手放してしまった 崩れる様に落ちていく田所の身体 ソレを受け止めてやると、岩合は微かに溜息をつき 田所の身体をバスタオルで包んでやり浴室を出た ベッドへと寝かせてやり、まだ版画脇の田所の髪を指デスク その感触がくすぐったいのか 寝の最中ながらも、田所は身体を竦めていた 「俺以外に、触らせるな」 何故これ程までに執着してしまっているのか 唯の身代りでしかないはずの、この青年に 誰かに、何かに執着するなど余りなかった岩合にとって この感情は酷く不可解なソレだ 「独占欲なんてものがあなたあったなんて、驚いたわ」 不意に戸が開く音が聞こえ、そちらへと向いてみれば 僅かに驚い多様な顔をした母親が、そこに居た 無断で入ってくるなと視線で咎めてやるが気に掛ける様子もさして無く 揶揄するような視線を岩合へと向けるばかりだ 「……何かに執着なんてするものではないわよ。千尋」 何か含みのある物言いを残し、母親はその場を後にした 何を言わんとしているのかを、岩合はすぐ様気付き表情を歪める 「……所詮俺の手の中には何も残らない、か」 未だ寝に入る田所 また髪をなでてやれば、田所の目がゆるり開いていく 「……まだ起きなくていい。寝ろ」 うっすら目を開き掛けた田所の頭を、眠りを誘う様に撫でてやれば 田所は子供の様な笑みを浮かべて見せた いつか、寝の最中ではなく田所は笑みを自分へと見せてくれるのだろうか そんな事を考え、岩合はそんな自身に肩を揺らす 前へ |次へ |
作品目次へ 感想掲示板へ 携帯小説検索(ランキング)へ 栞の一覧へ この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです! 新規作家登録する 無銘文庫 |